過去の災害事例
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過去の災害事例

  • 島根県出雲市豪雨(2024年7月)

    停滞する梅雨前線の影響で大雨となった7月9日、出雲市日御碕地区で集落に通じる県道の一部が崩落し、地区への輸送路が寸断されたことで、235世帯が孤立した。地域住民から燃料の枯渇を不安視する声があがり、県危機管理課、出雲市が島根県石油商業組合に相談。島根県、出雲市、地元消防、石油組合が協力して週1回、朝の2時間程度の時間で孤立地域にガソリンを運ぶこととした。1回目の燃料配送は25日に実施。石油組合ガソリンスタンド(SS)で携行缶に詰めたガソリン(写真①)を、市の職員や被災地区の住民が崩落現場付近に開通させた迂回路まで軽トラックで、続く迂回路を徒歩で運び(写真②、③)、さらに被災地側の軽トラックに積み替えて給油場所まで運んだ。給油はSS関係者が行い(写真④、⑤)、事前に予約した孤立地区の住民が所有する車(写真⑥)に給油した。臨時の燃料配送は合計3回目行われ、その後、車の通行が可能となったことで終了した。

  • 令和6年能登半島地震(2024年1月)

    1月1日(月)午後4時6分頃、石川県能登地方を震源地とする「令和6年能登半島地震」が発生(最大震度7・志賀町)。寒い時期の災害で停電したこともあり、避難所では暖をとるため、灯油および灯油ストーブが求められた。地震直後は、営業しているSSに多くの給油客が殺到し、長蛇の渋滞が各地で発生した。数日間、大型タンクローリーが通行することができず、津波でタンカーが着岸できないなど地域の燃料が枯渇する中で、石油組合やSS事業者は自らが被災しながらも、石油元売や他地域の石油販売業者等とも連携し、避難所や病院、移動電源車両等への燃料供給に尽力した。

  • 新潟豪雪(2020年12月)

    新潟県内の関越自動車道や上信越自動車道では大雪により12月16日から17日にかけて最大2100台程度の車やトラックが立ち往生した。冬場に20時間以上も身動きが取れない中、燃料切れを心配して車内の暖房を節約しながら寒さをしのぐ人も多く見受けられた。新潟県石油組合は、県の防災課から災害協定に基づく燃料供給支援要請を受け、組合員SSが、自衛隊への燃料補給基地として、ガソリン・軽油それぞれ8,500Lを供給した。

  • 台風15号(2019年9月)

    千葉県内を中心に関東に大きな被害をもたらし、最大で64万戸余りが停電。夏場のため、熱中症などで亡くなる人もいた。停電が長期化したため、車の中でエアコンを付けて暑さをしのぐ人も多く見受けられた。暴風雨での施設被害や停電で営業できない状態に陥ったSSもあったが、石油組合をはじめとする関係者が昼夜を問わず連携し、緊急用バッテリー可搬式計量機や緊急用タンクローリー直結型計量機なども活用し、燃料供給確保に尽力した。

  • 北海道胆振東部地震(2018年9月)

    9月6日午前3時8分頃に北海道胆振地方中東部を中心に発生した地震は、胆振の厚真町で震度7を記録。日本で初めてとなるエリア全域におよぶ大規模停電(ブラックアウト)が発生した。札幌市内でも北区などで震度5強を観測し市内すべてが地震直後から停電。市内SSのほとんどは計量機を動かすことができず、同日は停電が復旧し始めた夕方まで休業を強いられた。一方自家発電機を稼働させ営業した地元SSには朝から給油待ちの車の長い列ができたほか、自治体からの燃料油の優先供給要請や、病院などからの配送依頼に対応した。

  • 西日本豪雨(2018年7月)

    特に被害の大きかった岡山・広島・愛媛の3県で停電、冠水、断水などに見舞われ営業停止を余儀なくされたSSが目立ち、道路交通網が寸断されたため石油製品の流通や従業員の出社に支障を来たすなどの影響を受けた。こうした中、被害が比較的軽微で済んだSSも含め、石油販売業者は厳しい状況の中で安定供給に尽力。地元消防署の要請に応えて深夜から営業を開始したり、中核SS等が自家発電機を稼働させて業務を続けたりするなど、災害対応力を発揮した。

  • 福井豪雪(2018年2月)

    約50年ぶりという豪雪が続き、高速道や幹線を含む道路上での渋滞が長引いた。主要道の除雪が追い付かない、大型タンクローリーが油槽所に入れない、運転手が確保できないといった危機に見舞われた。通常なら、1~2時間で着荷する油槽所からの出荷が滞り、福井県の多くのSSの在庫が急減する事態となった。降雪量の比較的少なかった嶺南地方のSSでは、燃料の緊急供給要請に対し、自らの費用負担で供給要請に応えるなど、石油製品の安定供給というSSの社会的責務を全うした。

  • 熊本地震(2016年4月)

    4月14日夜と16日の未明、約28時間以内に震度7を2度記録。避難所の混雑を避けたり、小さな子供やペットを持つ被災者などが、車中泊避難をしたりする姿も多く見受けられた。県内SSでは防火塀の倒壊や建屋の半壊など、わかっているだけで130ヵ所が被災したが、災害時のエネルギー供給の“最後の砦”としての重責を全うし、石油製品の安定供給に懸命に取り組んだ。電気、水、ガスの供給が途絶える中、中核SSは自家発電機を使っていち早く燃料供給を再開し、地域の暮らしと、安心・安全を支え、「最後の砦・石油」を守り抜いた。

  • 東日本大震災(2011年3月)

    3月11日午後2時46分、国内観測史上最大のマグニチュード9・0を記録。岩手、宮城、福島を中心に、これまでの震災の想定をはるかに超える甚大な被害を与えた。製油所・油槽所などの操業停止や、道路の寸断により、在庫切れや数量を限定して販売するSSもあり、店頭ではスタッフが消費者への説明・苦情などの対応に追われた。一方、厳しい状況の中で、SSは地震発生直後から住民の生活を支えるためガソリン、灯油など石油製品の供給に全力で対応。津波で自宅が流されて自身も被災者であるにもかかわらず給油を続けたSSや、家族・親戚の安否が分からないまま仕事を続けたSSもあった。